笹沢写真事務所 コラム

笹沢写真事務所

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信州名物?

僕は信州、上田市の生まれだ。上田市は、真田氏が築いた上田城、そして信州の鎌倉と呼ばれる別所温泉などで知られている。最近は,アニメ映画『サマーウォーズ』の舞台ともなった。いわゆる東信、長野県の東部に位置する市でもある。
 僕が長野県の出身と知ると,ライターさんなどに必ずといわれるのが「蕎麦がおいしいでしょう?」「蕎麦家は、どこがおすすめですか?」「蕎麦を食べる前に,どんな酒肴で飲みますか?」。そう、信州蕎麦という名称があるほど、信州の蕎麦は、全国的に有名だからだ。蕎麦は,僕にとっては「日常食」なのだ。
 だから、東京に出てきたときはビックリした。正確には,カメラマンとしてそこそこなの知れた蕎麦屋に取材に行ったときに,ビックリした。なんてたって、すべてが「高い」。
ざるが900円、ときには1000円、それ以上のことも。そして、載っている蕎麦はほんの少し。「なんじゃ〜これ!」(松田優作風に、ね)である。
ざるは、高くて700円、しかも普通盛りなのに大盛り!ちょこちょこしたつまみなんか頼まない。第一,つまみなんか天ぷらと野沢菜漬け卵焼きくらいしかない。それが信州流なのだ。信州では,蕎麦屋はちびちびゆっくり飲むところではなく、豪快に食べるところ。そして、「安く」なくちゃならない。
江戸時代は武士や商人がいわゆる居酒屋風に利用もしていた蕎麦屋。決して高級な料亭ではない。
 この20年の蕎麦ブームで,信州にも東京から進出してきた蕎麦屋が増えた。そういう店は,盛りが少なくて値段が高いので,すぐわかるんである。蕎麦屋で、ちんたらのんで数千円も使いたい人は、やはり、東京でどうぞ,なんである。
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小さなイタリア〜西オーストラリア•フリーマントルにて

 取材ではじめてオーストラリアに行くことになった。シドニーとか,ゴールドコーストとか名前が知られているところではない。西オーストラリアの都市,パース郊外のフリーマントルという町だという。
 パースは「世界一住みやすい町」として、有名な都市だが,そこから列車で約30分のところに、フリーマントルという港町がある。そこの英語学校の取材だったのだが、実は,
英語学校の授業の取材は,一度、ベストショットが撮れてしまうとカメラマンは比較的自由時間が出来る(授業の間ずっと教室にいるのもナンなので,ライターさんだけが残ることが多いのだ)。そこで、町の風景でも撮影しようか、と一人で散策することになった。
 フリーマントルには,1855年にイギリスからの流刑囚を収容する目的で作られたフリーマントル刑務所がある。ここ、1991年まで実際に使われていたというから驚きだ。独房の壁画や絞首刑の台などを見学しているうち,なんだか、ちょっとゾクゾクッ。別に霊を見る体質ではないのだが,どうしたのだろう。夜には,キャンドルツアーという案内付きのツアーもあるらしいが、そんなの参加したら,イチコロだな、僕の場合(正直,少々恐がりです)。近くにはラウンドハウスというこれまた、1831年に建てられた刑務所が。フリ
ーマントルって刑務所だらけなんである。で、海辺でカモメなんか撮影しているうち,取材していた学校の場所が分からなくなった。流刑囚たちの怨念か。
 さらには、1月のオーストラリア,真夏である。ふらふらと歩いていると,1本のにぎやかな道に出た。暑い暑い。頭がクラクラしてきた。ペリエでも飲もうかと,思い切って1軒のカフェに入る。見慣れたペリエの緑色の瓶がない。困っていると,横に座っていたおじいさんが、なんだか泡が出ている水を飲んでいる。大きい瓶に入っている炭酸水。失礼と思いつつ「これこれ」と指差すと,そのおじいさん、早口で,なんだか僕にその炭酸水をお裾分けしようとしているらしい。英語で反論も出来ず,その水をいただく。ふと見ると,さっきの炭酸水をくれたおじいさんの周りに,数人のおじいさんとおばあさんが。なんかしゃべりながら、煙草を吸い,カプチーノを飲んでいる。オーストラリアでもテラス席では煙草が吸えたのだ。でも、その言葉がわからない。あれ?あれあれ?
おじいさんたちの話しているのは,英語ではない、イタリア語だった。そこにいる数人のおじいさんたちが皆,イタリア語をしゃべっているのだ。不思議だ。。。
一心地ついた僕は,炭酸水をくれたおじいさんに、日本からお土産に持ってきた「ゲイシャ」イラスト入りの簡易ライターを「どうぞ」とあげる。なぜだからその日は3個もっていたので、おじいさんたち全員に行き渡った。おじいさんたちが歓声を上げるので思わずシャッターを切らせてもらった。「どこから来たのか?」とおじいさん。なんだ、英語もしゃべれるんじゃないか。
飲食店での煙草の煙と匂いほど嫌なものは無いのだけで、この時の煙草の香りは、記憶中ではとてもいい香りとして残っているのだ。
 あとから調べると,フリーマントルは,イタリアからの移民が非常に多い町らしい。
あのおじいさんたちは,イタリアから来たんだ。。。そんな体験があり,今でもオーストラリアというと、イタリア語のイメージがするんである。最初のオーストラリアだったし。